History of Horses

「日蝕」の子ども達

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サラブレッドの歴史
 世界に100万頭くらいいるサラブレッドは、全個体の系図がはっきり わかっている変わった生き物なんだ。元をたどると3頭にいきつくのは 知ってるだろう?その3頭はダーレー・アラビアン、ゴドルフィン・アラビアン、 バイアリー・タークなんだけど、事実上はダーレーアラビアン1頭だ。 3頭とも持ち主のイギリス人の名字からついた名で、他の馬に比べ足が長く、 また速いかったらしい。
 1764年ヨーロッパで起こった日食の日、ダーレーアラビアンの3代目の 親から1頭の競争馬が産まれたんだ。その名をエクリプス(日蝕)号という. レースでは他の馬がはるかにひきはなされ、見えなくなるくらいだったそうだ. まあマルゼンスキーかテスコガビーみたいなやつかな。この「日蝕」くんの 強さから、それまでぱっとしなかったダーレーアラビアン系統人気爆発で、 今の競走馬は90%がダーレーアラビアン系になったわけなんだ。

 ☆「20世紀の名勝負」これがマルゼンスキーとテスコガビーだ!(YouTube)
 ---2000年の有馬記念でフジテレビが放送したもの。これ以上はない程素晴らしい出来。 ブライアンvsトップガンの阪神大章典、ハイセイコーvsタケホープのクラシック等のほか、 テンポイントやテスコガビー、ルドルフやシービーたちの走りが見られます。


日本の競馬
 日本の競馬は歴史は浅い。日本の馬は江戸時代までは小型のポニー に近い大きさの馬だった。サラブレッドが輸入されてからも、いい種牡馬も いなかったし、配合の理論や調教なども慣れていない。何しろ1981年、 第1回ジャパンカップが行われた時の優勝馬は、アメリカのメアジードーツ、 楽勝、それもレコード勝ち!ところがこいつは、アメリカでは何万だか忘れたが 条件馬だったのだ!この時の競馬関係者のショックたるや....さっしてあまりある。 これほどまでに日本の競馬は世界とレベルが違っていた。
 ついでに、日本馬の海外遠征記録は1980年台まではさんたんたるもので、 国内では敵なしだったタケシバオーですら、海外レースでは、 すべて20〜30馬身以上離されて大敗している。他の馬は押してしるべしである。
 その後、トウカイテイオー、レガシーワールドなど、ジャパンカップを勝つ 馬は現れた。しかし、それでも日本の競馬は世界からはアメリカや中東に くらべ2ランクは下に格づけされていた。海外グレードレース で勝ちたい....初の海外重賞をとったフジヤマケンザンは3度目の挑戦で 勝利したが、場所はホンコン。残念ながら欧米とはレベルが違う。 ヨーロッパ遠征をしたダンスパートナーはG3に入賞したがG1では6着だった。 あの15戦13勝史上最強馬ルドルフですらアメリカで6着、 ローレルはけがで出走できず、最高峰の アメリカブリーダーズカップに挑んだタイキブリザードは1年目最下位、2年目 は6着、日本ではダートで無敵だったライブリマウントもドバイワールドカップで 6着。海外G1は遠い道のりに見えたのだ。

日本の競馬2
 ところがどっこい、1998年、あのひょうひょうとしたシーキングザパールが、あっさり 1300mのG1をとっちゃったのよね。やってくれるじゃない、あのじゃじゃ馬娘。 そしてヨーロッパ中のマイル王が集まるロンシャン競馬場のジャック・マロワ賞 で、タイキシャトルはダントツ一番人気に押され、そのまま優勝。
ジャックマロワ賞1998(YouTube)
 さらにその年、ヨーロッパの 年度最優秀古馬に輝いたのよ。最優秀...すごすぎる。マロワ賞はマイルの世界一 決定戦のようなもの。各国代表を全部負かしたから、というわけなんだけど、よく日本の馬に 賞をくれたと思うわ。
 3年前にはとても信じられない展開。両方ともマルガイだけど、日本調教馬だしね。 年末にはエルコンドルパサーが4歳でジャパンカップに勝って、そして2000年、 エルコンドルはあの長期ヨーロッパ遠征ロードに出たの。エルコンドルは、過去の 馬たちのように慣れない土地で体調をくずすこともなく、G1サンクルー大賞 (前年凱旋門賞馬、欧州年度代表馬などを抑えて3馬身差の完勝)、 凱旋門賞の前哨戦フォア賞(ボルジアに 一度さされたが、ゴール前でさしかえして勝ち)を勝ち、 夢の凱旋門賞へ!実はね、凱旋門賞に出た日本馬ってのはいたのよ。 3頭ほど。ところが、スピードシンボリ(着順不明だが彼より下もいた)をのぞいて 全部びり。一応、皆国内では強い馬 だったらしいんだけど、なんとゆーか、日本シリーズと高校野球地方予選ほどの レベルの違いとゆーか....()。

日本の競馬3
 さて1999年10月の凱旋門賞、エルコンドルパサーは、ヨーロッパの年度代表馬や 各国ダービー馬、昨年や一昨年の凱旋門賞馬をおさえて、オッズ2番人気。 ヨーロッパの競馬の一般客は、目が肥えています。日本馬だろうが4歳だろうが、 強い馬は見分けてしまいますね。そんな優れたギャラリーがエルコンドルパサーを 押してくれたのです。
 ヨーロッパG1オッズの重さはもうわかっている日本の競馬ファンは、贔屓目ではなく エルコンドルが凱旋門賞優勝候補であることに目をみはり、感動しましたね。もう入賞だけでも、 普通に勝負になってくれるだけですごいことですから。
 凱旋門賞は本当に夢のようなレースでしたね。足場が非情に悪い中、どの馬も 2400mしっかりと走りぬき、最後の直線でエルコンドルパサーとモンジューが 一騎打ちでした。3着のクロコルージュは6馬身差、4着以降はさらに5馬身差。 つまり、エルコンドルたちは、その年のエミレイツのチャンピオン・デイラミ、 1998欧州の年度代表馬ドリームェル、2001年の欧州年度代表馬 ファンタスティックライト(2001年のエミレイツの世界チャンピオンでもある)、 前年の凱旋門賞馬サガミックス、独ダービー馬ボルジア (注:ダービー馬だけど牝馬)らを、11馬身以上 ひきはなしていたのです。
 結果はエルコンドルは首差の負けでしたが、最初からのびのびと 走り、逃げたエルコンドルに、最後方から追い込んできたモンジュー。 蛯名騎手の予想外の展開になっても落ち着いていた、堂々たる騎乗も 尊敬に値するものでした。
 エルコンドルの欧州の4戦は、ヨーロッパの競馬サイトが整備されたため 詳細が私たちにもわかるようになったのですが、想像を超える強さでした。 詳しくは→エルコンドルパサーの欧州遠征
 あのメアジードーツのジャパンカップ、屈辱のレコード勝ちから18年。 日本競馬界の戦いは驚くほどの成果をあげましたが、さらに日本の馬たちは 活躍するでしょうね。
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 以上は、2000年くらいに書いたものですが、今は2009年。幻想水滸伝も 今度6が出るというくらいで...えー関係ありませんでした。
 さて日本調教馬は、世界的に年々高い 評価を受けるようになっており、とうとう世界ランキング(普通、人間につける ものだが...)1位になる馬まで現れました。もちろん「日本競馬の結晶(実況 より)」という、空を飛ぶ馬 ディープインパクトです。菊花賞の100円元返しをはじめ、最近の馬なのに伝説が たくさんあります。脚質が、最後方からの追い込みであることも、どえらい人気の1つでしょう。 3キロのレースでも息が上がらないなど、10年先の時代の馬だそうです。3着の 凱旋門賞(2006)も、本人いや本馬が、同じ馬場で一度走っていてゴールがどこかわかっていたら、 勝っていたのではないかとさえ思ってしまいます。短期滞在でしたから、エルの時に比べて 条件はきびしかった。ディープの驚異の走りはこちらでごらんください。
 日本産・日本調教馬の海外G1初勝利は、ディープインパクトのデビューの3年前、 2001年ステイゴールドの香港ヴァーズ賞です。ステイもディープも父はSS. 日本産馬で強い馬が多数出るようになったのは、非常に高確率で走る馬が出るサイヤー・ サンデーサイレンス(故馬)のおかげかもしれません。このサンデーは気性難のためか、種牡馬 としてアメリカではまったく人気がなく、購入時は不思議がられたそうです。いきなり爆発の 初年度産駒がレースに出るまでは実は国内でも人気が低かった。
 サイヤーの世界は、子供を実際走らせてみないとわからないため、大当たりサンデーの影には、 多数の輸入種牡馬失敗例があります。 たとえ何着の馬でも、今ターフにいる競走馬たちはすべて、競馬関係者の血と汗と涙と... お金と時間の結晶なのです。


日本の競馬4
海外レース成績、重賞2位以上の馬一覧
1959 ワシントンBH優勝ハクチカラ
1995 ノネット賞  G32位ダンスパートナー(武)
1995 ホンコン国際  G2優勝フジヤマケンザン(蛯名)
1998 モーリス・ドギース G1優勝シーキングザパール(武)
1998 ジャック・マロワ G1優勝タイキシャトル(岡部)
1998 ホンコン国際  G2優勝ミッドナイトベッド(武)
1999 イスパーン賞賞 G22位エルコンドルパサー(蛯名)
1999 サンクルー大賞 G1優勝エルコンドルパサー(蛯名)
1999 フォア賞   G2優勝エルコンドルパサー(蛯名)
1999 凱旋門賞   G12位エルコンドルパサー(蛯名)
1999 アヘイユロンシャン G1優勝アグネスワールド(武)
2000 ジュライ   G1優勝アグネスワールド(武)
2001 ドバイシーマC G2優勝ステイゴールド(武)
2001 ドバイWC G12位トゥザビクトリー(武)
2001 ホンコンバーズ優勝ステイゴールド(武)
2001 ホンコンマイル優勝エイシンプレストン()
2001 ホンコンカップ優勝アグネスデジタル(四位)
・2009年分までの更新は少々おまちください。
・この表にもれている馬は?はい、実はハクチカラとダンパの間にたくさんいます...()。 有馬連覇の名馬スピードシンボリが、凱旋門賞ほか2レースで最下位.ただスピードシンボリは 表にもれた馬の中では、「最もいい形」の最下位だったのデス(勝負になってた)。 「日本の競馬2」にでてきた年度代表馬タケシバオーは、ワシントンDC国際Cでトップから 20馬身離され最下位、雪辱を期した翌年のチャレンジでは、今度は35馬身離されました()。 ハシクランツ、フジノバーシアetc...は、いずれも20馬身から40馬身離されて、 大敗しています。
 海外で勝つには環境の変化によほど強い馬じゃないと...っていわれてきたこともあったけど、 ヨーロッパ・アメリカ・ドバイの重賞を転戦する海外の馬は、悪いエサに毎週の飛行機による 移動にたえて、各国G1を制しているのです。

・しかし近年、馬の頑丈さ、というか、神経のずぶとさでも海外においついてきたようで、 98年のパールは、初体験の直線コースG1でレコード勝ち、タイキシャトルは1.3倍の大人気の プレッシャーにも負けず各国ナンバーワンの馬たちをねじふせました。しかしまさかこれ1本で 欧州マイルの年度代表馬になるとは...日本での引退レースの3位さえなければ全連対馬 であった栗毛のシャトル、距離がマイルであるためか、あまり重くみられてないのが 残念ですね。

・いまいち地味なんですけど、アグネスワールドのジュライカップは、日本馬初の イギリス本土のレースの勝利ですから。すごいことだと思います。 た、た、ただ、めんつもかなり地味で、エルコンドルパサーのサンクルー大賞 (サガミックス、タイガーヒル、ボルジア、そして前年の欧州年度代表馬 ドリームウェルetc)などから比べると。ちと格がおちるのかも。(しかもサンクルー ではエルは斤量61kgを背負われていた。)

・ホンコンは、ヨーロッパやアメリカとは距離も環境も全然ちがって楽なので、 海外という感じがあんまりしないのですが、元イギリス領なので競馬も本場しこみなはず。 フジヤマケンザン、ミッドナイトベッド(12番人気!ははは)ともレコード勝ちはおみごと だと思います。
 2000年のステイゴールドも、ジャパンC2位のインディジェナスを押さえて かったのよね。ちなみにこのステイのホンコン・ヴァーズ賞が日本生まれ日本調教馬初の 海外G1優勝なのです。

・国内では競馬界を代表するイマイチくん、われらがステイゴールドは、海外では本当の 実力どおり走っているようです。ドバイ・シーマ・クラシックはステイ初のダート、 G2とはいえ世界チャンピオン馬のファンタスティックライト(祝!2001欧州年度代表馬に選出 されましたー。ホホホ、ステイの優勝にハクがついたわ)を、外からまわりこんでゴール直前 で刺し切っての勝利で、海外の記者に注目されました。 いや、注目されたのは、驚異的名騎乗の武騎手かしら()?

・ただ、この時のドバイは、日本産、日本調教の牝馬!トゥザビクトリーが 本物のドバイワールドカップで2位というのが、惜しすぎます。牝馬だったのに、 牝馬だったのに....ホクトベガ、見ているかしら?

  日本馬海外遠征ダイジェスト(YouTube)
   ---フジヤマケンザンからディープインパクトの直前まで、 ひたすら負け続けた歴史とともに、 日本馬が勝った全レースのクライマックスが、 実況つき(英語)で見られます! アップしてくれた人ありがとう〜(削除依頼を出さないフジテレビさんも〜 ありがとう)


Water and Sky Horse Club