Haruka2 Essay

和弓の射法について
Last Update 2005.6.3

[遥か2] [平安京の剣と弓] [剣と弓の物語本家]


 これはもともと遥か2ファンページの一部だったのですが、 現在どちらかとゆーと剣と弓の物語のぺーじとなっております。和弓の流派の概要説明です。
 洋弓と和弓は、起源とか、大きく違います。詳しくはアーチェリーと弓道(すみません、これはまだ更新してません)、次に弓道のすすめごらんください。

 現在、和弓は流派がいくつかあって、打ち方が異なります。異なるだけなら いいが、どの流派が一番よいか等で、まあその色々あるようです。 特に小笠原流・本多流の正面打ち起しVS日置流の 斜面打ち起しの対決は....まだ続いているみたいです。
 どの流派がよいか論争は、精神論などどうでもよろしい即物的なアーチェリーのように、「どの流派がよく当たるか」では決着がつかない点がややこしいようです。呼吸とか正しい動作とか歴史とか...
10人が打ち起しについて論じている場合、その説明は10通りあり、読んでいる普通の人にはだれが正しいのかさっぱりわからない、巨大な迷宮がこの「打ち起し」(打ち起こしと書く人もいる)論です。
 弓道教室・道場だけでなく、大学の弓道部も両方あります。その弓道部のやり方でやらないと、おそらく試合にでられません。
 そのせいでしょうか、日本弓道協会のHPでは流派の記述がありません。 流派にこだわらずに仲良くやりましょう、ということなのでしょう。
 何でもありの洋弓打ちとしては、賛成です。でも、まずその弓術の流派の話を しないと、話がわからないので、ちょっとだけ。

 ○小笠原流
 ○武田流--弓馬術で立射はない。
 ○日置流印西派--実際ほとんどが印西派だから。
 ○本多流--コマおとしが...

◆まず、歴史の古さ対決
 弓は大陸からモンゴル型が伝わり、飛鳥時代からさかんであった。 日本特有の神事としての弓は、平安時代の正月の弓はじめおよび、 17日の射礼の行事が最初らしい。 これは親王以下の貴族+左右衛門府武官が天皇の前で弓をひく。 これが逸見流らしいのだが、もう少し調べないと確信が...。
 で、次が問題の弓の代表的神事・流鏑馬である。「馬弓」とよばれ 流鏑馬は奈良時代から行われていた。神事としての流鏑馬は、 第29代欽明天皇の時代に、 五穀豊穣を願って宇佐神宮に奉納したのが最初とされている。 流鏑馬の名はこのときの矢馳馬がなまったものだそうです。

 宇多天皇の時代に、弓馬の術は、清和源氏の相伝となるが、その後、 小笠原流甲斐の武田流の2家に分かれる。その2家も実は さらに細かく分かれるのだが、もうめんどくさいので省略。
 時が下り政府が変る。鎌倉時代・鶴岡八幡宮で源頼朝が奉納した 流鏑馬は、小笠原氏、武田氏、両方が参加している。そのためか、 今の鶴岡八幡宮の流鏑馬は、秋が小笠原流と春が武田流と、両方の 流派を使っている。なお、武田流は歩射がなく、流鏑馬のみで あるらしい。そのため武田流は弓道大会にはでてこない。
 ただし、両者とも室町時代あたりにはかなりすたれ、小笠原流は 徳川吉宗が復活させ、武田流は細川家が再興した。

 以上は古流であるが、日置流は15世紀室町時代に始まる。 つまり日置は、神に捧げるんじゃなくて、戦乱の世の実践的な 弓術なのである。
 そして本多流は両者のよいところをとり、明治に始まる
 古さ対決ではそりゃ古流(小笠原流と武田流)の勝ちはしょうがないでしょう。 そして今、古ければよいというわけでもないのです

◆実用度
 ..うーむ、合戦ないからなあ、最近。 (あっても困るが)。江戸時代も戦争はなく、小規模抗争ばかりで そういうのには弓は出番がなく、刀ばっかりである。
 そのさらに前の室町時代は、たしかに戦乱ばかりであるが、合戦の最中の描写で **流なんてものの記載は皆無。戦いの現場では..精神論も何も...ただ多くの兵を殺せばよかった。 室町の文化らしきものは、安土桃山時代が始まるまでは比較的平和を維持できた強い国に残るだけ。
 というわけで、実戦での実用度はどれ?...といわれても、 資料ゼロだから わかんない()。ない知恵をふりしぼってシミュレーションしてみることにします。

□立射、いや日本では歩射というのかな、での場合
安全な位置から、弓担当全員そろって構えて、号令で一斉に打つ...っていうの でしたっけか、中世の合戦は。または、なんでもいいから敵陣にむけて じゃんじゃん射るのでしょうか?どちらの場合も、日置の斜面打ち起し のが有利だと思います。視野の一部にターゲットが いつづけますから。ターゲットが動いたらわかるでしょ。
 あと、よくある城攻めみたいなのでは、どんな流派でも、 うまければOKなのでは?攻めるも守るもターゲットがほぼ固定されてるので。

□人馬入り乱れての乱戦の場合
 こうなると、たぶん...どんな流派も実用にならないと思います。 これはアーチェリーもです。スタビライザーだらけの重たい弓なんて 論外。そもそも馬上でアーチェリー式に左に矢をつがえたら、矢は即おっこちます。 立射でも、木々や人馬の陰からへんなポーズで狙うのですから、クリッカー 使えません。唯一使えるのは、距離感がある場合のサイト(照準)。
 西洋も東洋も、乱戦での馬上の弓手たちは、何流にせよ、 すばやく打てるよーに自分流に簡略化して矢を射ていたと思います。 どのくらいかというと、構えてから数秒以内くらい。自分の命がかかってる んだから。
 だいたい弓を構えてからリリース、じゃなかった離れまで 30秒とかかかってたらとっくに射殺されてるか、槍でつかれて ます。弓をつがえる途中の射手は、両手がふさがりまったくの無防備です。


 小笠原・武田も、日置も本多も、礼と形を重んじる武道であります。
 的にあてることよりも、美しい動作と形で射ることが基本であり重要視される。 立ったりすわったりの動作にも呼吸と形がある。 射る場所は道場。全員が射手をみている。1つまちがえると どんどんおかしくなるので、 射る時以外にも集中しなくてはいけない。洋弓打ちはたぶん 逆立ちしてもまねできない。

 小笠原流・武田流の鶴岡八幡宮の流鏑馬、毎年TVで見てる。超人の技としかいいようがない。しかも年々 レベルが上がっている。大学のリーグ戦もみたよ。正面も射面もどちらも すごくかっこいい。きれい。どちらがよく当たるっていうふうにもみえない。 何より全員服をぬがないので私はうれしい。
 歴史を知る上で、過去の戦場がどうだったのかは重要かもしれない。 でも今のスポーツの洋弓・和弓で、過去における実用度が何なのかなあと思う。

 実用度コーナー、結論は城攻めでは全て実用になり、乱戦では全て実用に ならない。どの流派も(そして洋弓も)おんなじ。ただしこれは私の個人的見解です。

◆正面打ち起しか、斜面打ち起しか。
 3年前にこのぺーじを書いた時には、「いまだに論争中」とかきましたが... さて3年間でどうなったでしょうか?じゃーん。 論争は収束するどころか、拡大する一方()!
 もはや部外者の口のはさめる問題ではなくなっているので、ここでは 書きません。

□側面打ち起こし
 新たな流派が?!..いや、その、私がこれなのです。アーチェリーです。 あんまり、やる人はいないけど、これも1つの方法として認められています。
 まず体をきれいに真横にし、弦をひかずに弓をもった左手を、 ターゲットにむけてつきだす。 そこで顔をターゲットにむけ、矢と弦をひいていくのであります。 つまり矢の先がターゲットにむき、目も照準をとらえながら、 「打ち起こす」のです。想像できますか?
 もちろんこれ以外の、射面打ち起しに近い方法のセットアップも あり、そちらの方が数が多いと思います。..と、どれでも命中具合は大差なし... と思うのですが...。

和弓のフォーム
 ↓こんなかんじ?宮中の儀式だった射礼用の衣装と引き方で、フォームはHPの写真をみながらかきました。

 ※あの....和弓の師範の皆様は、儀式の本番ではほとんどが左袖を脱いで、左半分ハダカで 弓を打たれます。...それが奉納弓の作法らしいのですが.... どうも見るのがつらいものです、正直いって()。もー何でもいいから、お願い、師範の皆様、 半分ハダカで弓ひくのはなんとかしてください...(;_;)。

 洋弓との大きな違いは、弓の長さが長いので、馬手を大きく、頭の後ろ までひいていること。いや、洋弓ここまでひいたら弓が折れるか手が 折れるか....
 握り部分から上の長さのが長いので、弓の上部は前にそりぎみ になるんですね...。うーん不思議なかんじです。
 あと、勝真くんて、あの強そうな弓を素手でひいてるんだよね...。 あれでは十射もしたら右手が血だらけになってしまいます。 ゆがけ(グローブのこと)はつけよーね。

 アーチェリーの写真は右からとったり左からとったりと色々 ありますが、弓道はまずこの勝真くんと同じ、体の右側からとった ものしかない。それは弓道の道場の構成上、観客は右側以外に 居場所がないからであります。



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