Haruka2: Anata ni koko ni itehosii...

はるか2 Who's Who

遥かなる時空の中で2登場人物のモデルを
考察...してみました。
[Ending Ranking] [haruka] [Kamakura]


     ●確実だろうというヒト
     ○たぶん、というヒト
     △怪しいけど可能性あり、というヒト


  ※ご注意
   神をも恐れぬ()暴言部分は、伏字となっております。
   太平洋のように心が広いという方のみ、お読みください。
   特に!平安京が好きな方や、西国の方は....ごめんなさいっ!!

 平安時代後期、摂関政治が終わり、院政がらみの複雑怪奇な 政権闘争が始まった時代。これから、京都は、始まって 以来の狂気へと、静かにつきすすんでいきます。
 半世紀の後、帝と院の戦いが、周囲の貴族も、武家も、親子兄弟 で殺しあう、戦争へと発展してしまう。京を戦場とする戦争..
 その原因をつくったのは、天皇家を2つに割った院政。 しかし、その院政という天皇家親政を誕生させたのは、 長年に渡る藤原北家の一族独裁政治だったのでした。


■院 → ●白河法皇(1053-1129)
 44年も院政をやりおった不屈の老人。44年!!まったく。 子どもの堀河天皇(帝)ばかりか、孫の鳥羽天皇、ひ孫の代まで院政。 組織やバックにたよらない無類の政治力を発揮し、権力は ゲーム内の設定以上に絶大だった。
 当時長期にわたり帝の摂政をつとめた藤原師実(もろざねとよむ。 幸鷹の父..のはず)も、白河には対抗できず、帝は成人しても 傀儡の王のまま。白河を評する書によくある表現だが、まさに 「帝も貴族も武士も、白河法皇の手のひらで踊るだけ」だった。

 あんまし関係ないのですが、私は歴代天皇で平安最大の政治家は 白河の父・後三条であると思っている。奈良・飛鳥をたしても、 後三条以上の豪腕は、天武くらいのようなきがする。
 (あ、白河法皇は、怪物ということで、別格であります。)
 たった1人で、時の大勢力の 藤原北家に戦いを挑んだだけでもすごいけど、彼は陰謀や かけひきではなく、純粋に政治立法で勝ってしまうのである。 たった4年で、藤原氏の独占状態をくずすことに成功している。 荘園という摂関家の経済基盤を、合法的にたたいたのが最もきいたようで、 一種の政治改革ですよね。

 その子の白河も、後三条の遺言はほとんどきーてないけど、 いいと思えば、前例があろうがなかろうが、敵がどれだけいようが、 いざ実行という方針は、なんか、よく似ているのデアル。
 はるか2終了時、院とその他全部との戦いはまだ序盤なのである。 ガンバレ彰紋()。

■帝 → ●堀河天皇(1079-1107)
 白河法皇の最愛のヒト・賢子皇后の子で、 白河の最愛の子。白河が退位するとき、東宮である自分の弟を廃して、 8歳でむりやり即位させた。

 この時の事件が、ゲーム中の泉水さんの母親関連の事件である。 白河が廃した東宮・輔仁親王は、聡明で器量よしの評判で、村上源氏が 味方に付いていた。しかし、東宮・輔仁を無視して、堀河 天皇に位がゆずられ、居所がなくなった輔仁は出家した。
 

 笛の名手として知られる堀河天皇。 実際の堀河天皇は、成人してからも、管弦楽や学問を愛し、 政治にはたずさわらなかったという。

 歴史上は、堀河天皇時代の東宮は、堀河の第一子の鳥羽天皇である。 しかしこの鳥羽の即位こそが、今後の京の悲劇を決定づけて しまう。

 堀河帝の東宮はだれか。
 ゲームの中で何度もでてくるのこの話。  これは、朝廷が半世紀の後、狂気の終焉へと向かうか、 否かを決める鍵だったのかもしれない。

 このあと、堀河と違って、成人後は政権へ意欲をみせた鳥羽天皇を、 白河院が封じこめたことで、鳥羽まで院政をしいてしまう。 鳥羽院政のころには、帝と院はもう完全なる政敵であり、ともに協力 してなんて想像もつかないくらいこじれている。 問題はこれが身内であることで、意地をかけて、 武士を、貴族をとりあい、権勢をはりあう。 しかしともに天皇-貴族連立政権の理念は同じ。 (武士はあくまで地下人らしい)
 彰紋くん。あなたは立法ができる。 どうか、院と戦って。 あなた以外はだれ1人、白河院にかなわなかったんだもの。
 もし、院政が白河一代で終われば、このあとの歴史は、 まったく別ものになる.....はず....()。

■彰紋  → ●堀河天皇と同腹の弟、架空の人物。
 本当は、堀河には、3歳でなくなってしまった兄しか、同腹の男の兄弟は いない。しかし、あのカイブツ白河院と対抗させるには、政治に 無関心な堀河だけでは、ゲームとはいえ力不足と思ったのだろう。

 遥か2では、彰紋がイサトくんたちに、院と帝の 関係を説明する場面があるが、彰紋くんったら、史実に 忠実にやるもんだから、非情にややこしい。 1度きいただけでは、まず、理解 不可能()。
 歴史上のモデルがあることを 知らないプレイヤーは、なぜここまで話をややこしくする 必要があるのか、不思議だったことだろう(例:自分^^;)。

 遥か2のあと、彰紋はどうなるのか....歴史では、堀河(ゲーム上の 帝)は若くして 亡くなり、第一皇子・鳥羽天皇が、これまた4歳で即位する。 当然、院政である。泰継さんのいうように「太陽は2つはいらぬ」。 この後、長い院政は悲劇を呼ぶ...。

 だから!
 あなたにここにいてほしい..!彰紋くん。

今でもキミは有能な政治家だ。さらに数年後なら、 白河に対抗できるかもしれない。
 4歳のガキなんか即位させちゃだめ。 この4歳の子が院政を始めたとき、朝廷は 親子兄弟で殺しあう、異常な終焉をむかえるのだ。
 藤原北家の亡霊もおいだしちゃえ。 政治で勝てない相手は、みーんな陰謀で罪人にしちゃう んだから、北家は政治の名門なんかじゃないよ。 陰謀なら、北家に負けないかもしんない、われらが 鎌倉の北条氏がお相手するから、 真面目にやってる連中のじゃまをするな。
 幸鷹、そして頼忠..あなた方は、味方する方を まちがえてるよ。でも今はわからないかも。 ついてあげてよ、彰紋に。そうすれば 世界は変るかも...

 このヒトの命を守ることが京を守ることなのだ、たぶん。 骨肉の争いと京都炎上の歴史は変えられるのだろうか?


■藤原幸鷹 → ○藤原家忠(1062-1136)
 藤原北家、摂政・藤原師実の2男。名門・花山院家の 創始者でもある。後に右大臣、左大臣を歴任する。 母は村上源氏の美濃姫と言われるが、このへんから貴族の 系図が不明瞭になってくるので定かではない。

 ゲーム内の設定と違うのは、最初から次男だということ。 嫡男である兄・藤原師道は、家忠と同じ年なのであるから、明らかに 兄の方が正妃の子である。
 兄上こと藤原師道(1962-1136)は、 関白太政大臣となるが、38歳で若くして亡くなる。

 ..ここから先がたいへん!
 政治は結局、歴代の「院VS帝」の争いとなり、最後に、 源氏平氏・藤原家を巻き込んだ全面戦争--1156年保元の乱--と なります。
 院と帝、どちらが官軍なのか?実は勝てば官軍で、 先に奇襲した帝側が勝って、官軍となり、 崇徳上皇は謀反の罪で隠岐に流されます。
 この頃、朝廷に「国を収める=地方から税をとる=地方の国民を養う」 という認識のある貴族がはたして何人いたのか。

 平安時代後期を語る各県の地史は、さんたんたるものです。 京で天皇や貴族が全力あげて儀式や会議の「京の政治」をやって いる間、各地では飢饉、災害、疫病がおきても援助はなく、 それどころか、 京のための臨時税が文書1つで徴収され、農民のみならず、 地主たちですら危機にたっていた...どこで何千人餓死したって 珍しくもない。朝廷が国司に課したのは税を集めることだけなのだ。 ここに、国家なんてものは...ない。
 京へ届かない、国民の声。 幸鷹!君は、君だけは知っているはずだ。

 (幸鷹=家忠だとすると)、このあと、遥か2最後での宣言のとおり、 幸鷹は藤原の姓を捨てることになるのだが....。 さて実は、幸鷹の兄弟たちは、嫡男の兄以外、全員が 藤原の名を捨てて、家を出てしまうのである。

 藤原の..それも北家と決別する、幸鷹を待っているのはおそらくは 茨の道。令外の職である中納言は...まさかおろされないと思うけど、 別当などの重要なポストはもらえまい。 殿上でも、正しいことを平気でいいそうなんだけど、北家の看板なし ではどうなることか。 さらに、兄上がなくなったら、アトをつぐのは性格的に問題 アリの藤原忠実。正しいことを平気でいいそうなアナタは、 たぶん、うとまれます()。でもって中納言を降ろされたら、 政治家としてはかなりつらくなるかも。
 でもアナタは、それでも、いいのかもしれないね。北家を 気にせず、好きな立場がとれるのだろうから。

 それから、この人の次の別当は、やりにくいだろうね。 フツー報告を読んだり、書状を出したり、他の官庁にお願いに いったり するくらいでしょ。しょっちゅう現場にいて、自分で 捜査はするわ、最前線で嬉々として怨霊退治するわ、 ...型破り....()。でも、これだけやってたら部下には信頼 されてたでしょうね。うるさいけど、現場はよく知ってる ということで...

 ◇追記1--この2代あとの 師通・頼長兄弟も犬猿の仲で知られる。時代がずれているので モデルとは思わないけど、変人かつ天才といわれる頼長と いう人物は興味深いかも。
 ◇追記2--藤原家忠は、藤原北家で唯一人、酒天童子退治で 知られる源頼光の血をひいている...らしい。ただ、師通などは 平家物語では魔女(麗子)の子となっており、どの話を半分に きいてどの話を信用すればいいのか.....。

●検非違使の実務とは→こちら


■翡翠さん →  ○藤原純友の部下?
 ※すみません。何しろはるか1をやってないもので、 前の八曜名前もよくしらない()。GBA版すら売ってないんだもん。 だれか貸してください....いや、そんな話じゃなくてー先代地の白虎の 名字が、名門・橘だってしらなかったんで、堂々と純友の末裔?とか かいてました。ファンの方ごめんなさい。

 関東あたりからみて伊予というと、みかんばっかり浮かぶのだが、 歴史的にみれば、 瀬戸内海という貿易路兼漁場をかかえた、海の民の国である。

 日本史で伊予がクローズアップされるところは、1箇所! 940年の天慶の乱、いわゆる純友の乱である。海賊討伐のため 伊予に派遣された藤原純友が、逆に海賊を率いて反乱を起こす 事件である。その直前におこったのが、関東の平将門の乱で、 この2つの大規模な反乱により、 朝廷の支配力は大きくゆらいだ。

 将門は坂東を統一し、今までガマンを重ねていた坂東の 地主・農民・商人たちのうっぷんをどーんとはらして、 少なくとも当時の関東人からは英雄視されていたが、それに対し、 藤原純友は、伊予でも特に英雄というほどではない。 理由は明快、純友は、 ホントに「海賊1000隻の上に立つ大将」、怪しい貿易と、 おそらく金品の略奪もやっていた、 ホントの「賊」だったからである。 藤原純友は昔から海上貿易に詳しかったといわれる。 純友の乱勃発の理由も、とある伊予の役人を殺したか、 殺すのを手助けした?とのことで、本によって内容が違う... 朝廷系の本は、話し1/5にきいておいた方がいいと思います。 (特に大鏡) この戦いの真の原因は、もうだれにもわからない。
 問題は純友の乱最後の方で、大宰府を焼き払い、奈良時代から保存されていた、 渡来の珍しい美術品類を灰にした罪が、評価から差し引かれてると 想像される。

 どちらかとゆーと、この天慶の乱が終わってからの方が、伊予の豪族・ 武家の活躍が見られる。伊予は村上水軍の本拠地であるが、もともと 村上三氏は 伊予の豪族・河野氏の部下である。河野氏は、源平の合戦で、 周囲どうみても伊勢平氏系だらけの中、村上水軍ごと 義経についてくれて、おかげで源氏方は屋島、壇ノ浦で勝利を えたといっても過言では...ないような。
 鎌倉時代は、なにしろ承久の乱で河野氏は京都方についた ので、左遷されて冷遇されるが、まあ西国は皆同じようなものである。 親兄弟にそむいて、なぜかただ1人鎌倉方についた河野通久 は幕府の御家人となり、河野家は続いていく。対蒙古戦では よく知られているように水軍を使って大活躍をする。 戦国時代の有名な毛利元就の水軍も、時代はちがうが村上水軍である。 (毛利氏の家紋は河野氏と同じ)室町以降、地方水軍と海賊は一応 別組織になるが、もちつもたれつは同じだったようである。
 歴史を通じての水軍の国、伊予。この海のプロ中のプロ、伊予の海賊を鎮圧した?という翡翠さんと幸鷹さんは、すごいかもしれない...??

 翡翠さんは参加者中ただ1人、うちの一風変った神子殿と同盟関係が 成立する方。恋愛の相手ではなく...うちの花梨の気持ちがわかる、 相手。日本は基幹産業は古代より明治まで、米作である。 伊予も相模も田んぼはあるし税金は米で払う。しかし南都や京には わからない、裏のカード・海がある。伊予は海外との貿易・水軍の 海、相模は...おもいっきり漁業の海である。
 当時の相模湾は、砂から岩場までの多彩な地形、ゆるやかに 深くなる外海に、流れこむ黒潮と、地の利にめぐまれ、多彩な魚が 楽してとれた。魚だけではない、浜には貝もあればワカメも ある。冬は寒いが雪に埋もれることは少ない。「主」が しっかりしている限り、相州に飢饉は ありえない。凶作の時は、海産物だけで充分暮らせたのである。


■源泉水  → △覚行親王?
 泉水さんのトンデモナイ母親の話を正しいとすれば、 母(偽者の方)は、後三条天皇の内親王で、堀河天皇(帝)が即位のさい 廃太子となった輔仁親王の同母の姉妹。しかし輔仁親王に 女性の同母の兄弟はいないので、架空の人物としか..。

 で、泉水さんの本当の母親は、さてだれなのか。子どもの年齢的に、 白河上皇の女御・藤原経子ではないだろうか。
 和仁にあたる親王をさがすと、経子の子・覚行親王が近いのである。 出家は堀河天皇即位 の前年、1085年。なんか政権 争いにまきこまれた雰囲気が...覚行親王は、和仁が言うように 陽があたらない 一生だったようで、真言宗御室派の総本山仁和寺で、法親王 となった、等に名を残すのみです。

■安倍泰継、イサト  →なし。
 ..きゅ、90年も老けずに生きてる人に、も、もでるはいないと思います..。 思いますが、この時代の陰陽師について調べてみる予定。

イサトくんは、たとえ本人がいても記録にない()が、 どのお寺にいるのかは、ちょっと調べてみよう。


■平勝真 →不明
 勝真は桓武平氏で、下級貴族ということになっているが、小進なら右京職としては トップ4名の1人。(右京大夫入れれば5名だが、大夫は実質何もしと らんので抜かす。京職は右京と左京で別組織デアル。かいてないけど、帝側なので 右京識であろう)部下は数十人、中間管理職で、めんどくさそう。 一匹狼とか言ってる場合じゃないぞ()。

 桓武平氏は、関東の領主としてはなじみ深い。むしろ人気者の 清和源氏よりも数は多い。まず北条氏(自称)でしょ、千葉氏(自称)でしょ、 長尾氏(自称)でしょ、畠山氏(自称)でしょ、三浦氏(自称)でしょ、相馬氏(自称)でしょ... 何どれも知らない?ええいっだまれっ()、関東では全員地元の領主で、 あたしたちには馴染みが深いのよっ...(^^;;)
 全員、桓武平氏の祖・平高望から分かれたことになってますが、 きわめてアヤシイ。関東の桓武平氏、関東の豪族の 系図など、いかようにもなりましたから。

 関東の桓武平氏は、あの将門公と関係があるのだろうか? 実は...あるけど敵。 なにしろ、関東の豪族で生き残れたのは、承平の乱(平将門 の乱)で朝廷側についた武士だけでしたから。
 将門の立場の復権に、今もびっくらするくらい貢献したのは、 NHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」でありました。 山本直純の曲と、将門の馬だけが疾走する場面で終わる ラストシーンは私もよく覚えている。 関東庶民の英雄としての将門を描き、これがなかったら今でも ただの蛮族の反乱扱いだったかも...。 あ、箱根の向こうでは 今でも蛮族ですが。

■源頼忠  →不明
 貴族の村上源氏ならわかりそうなんだけど、 このころの武士の清和源氏は、まだまだ裏方が多く個人名の記録は 少ない。ましてや頼忠のあの経歴をもつ人...()ただ1つだけ 紫姫がヒントをくれる。頼忠さん、アナタが河内出身である、 ということ。河内の清和源氏ならば、源頼朝の直系ですね。 そして古くからの北面の武士。

 しかし、アナタの一族は、あと50年後の保元の乱では、 崇徳上皇(と藤原頼長)を裏切り、平清盛とともに 後白河天皇(と藤原忠道)側で戦い、 勝利するのです。しかし後白河天皇は、東国に勢力がある 源氏を恐れたためか、次第に冷遇しはじめます。
 そのため、 頼朝の父・源義朝は清盛の留守中に上皇に対し反乱を起しますが、 戻ってきた平清盛に鎮圧されます。そして、 源義朝ら河内の清和源氏は、かつての主君である後白河上皇の命で、 赤子・女性まで殺され、全滅します。 これが平治の乱であります。

 1159年、京の清和源氏壊滅---これが、あと少し先のあなたの 一族の未来。なんということでしょうか。 平家の世の始まりです。

 この状況から、清和源氏は立ち直り、初の武家政権を 立てちゃうのですから、事実は小説よりも奇なりです。
 源氏全滅からのがれた、たった2人の子がいます。13歳だった源頼朝 と1歳だった義経です。頼朝は平清盛が指揮していた斬首の場で、 そこにいた尼に助け られ、伊豆の北条氏らの管理下で流刑となりました。一方義経は奥州で、 源義家が平定し王座に復帰したアノ平泉藤原氏により、平氏から かばわれて、いつくしんで育てられます。八幡太郎義家の直系というだけで この厚遇ですから、義家は ほんとうにすごいことやってくれました。
 このたった2人の河内系清和源氏、頼朝と義経により、何万の伊勢平氏郎党は あっという間に滅ぼされます。清盛は最後まで頼朝の命を 助けたことを後悔し、頼朝を呪いながら死んでいきました。

 頼忠さん、京の源氏全滅となる平治の乱のころには、あなたはもう いない。でももしいたら、どうしますか? 棟梁に従い、北面の武士として、全滅コースをたどるのでしょうか。 たとえ負けるとわかっていても。


 頼忠さんの大事なヒト、前代の源氏の統領・かの源義家(もち八幡太郎義家のこと。 箱根よりこっちでは英雄、東北では大英雄の方)は、 1083-87にかけて、朝廷の命により 陸奥守となり大荒れの東北(後三年の役)を平定する。
 その後京都にもどり、白河院、鳥羽院につかえるが、 病死する。

 この一見地味な生涯をたどった源義家は、 数々の伝説をもつ、武家の神様といわれる人。 多くの部下を失いながら陸奥守として戦った のに朝廷(白河院)には非常に冷たいしうちをされる。 白河院は、東国での義家の人気を、他の貴族より ずっと恐れている。
 さて義家が他の武将とちがうのは、けして 自分の処遇に文句をいわないところなのだ。 伝説にも、幽霊におびえて眠れない白河院の話をきき、 自分の弓を枕もとにおいてあげると、院はよく 眠れたとか、な、なんて優しいのーっていう話ばかり。

 遥か2時代、源氏の棟梁は、もしかすると、義家 だったのだろうか。
 だとしたら、感慨深いものがあるなあ。


 くやしいけど、やはり白河院の政治センスは抜群。 彼は地位も陰謀も金も恐れない。それらなしで、 白河は国をあやつっているのだから。(金はあったか) ただただ、彼は、ボトムアップの、 民衆の人気を恐れるのだ。(あー..やっぱ彰紋、危なそう...)


■怨霊の皆さん
●応天門の怨霊 →大納言・伴善雄
  866年、応天門で家事があった。時の大納言・伴善雄(とものよしお)が、源信が 放火をしたとして告発したが、逆に信(まこと)を落しいれようとした、 ということになって、捕らえられ、放火の罪で伊豆に 流された事件。
 いずれも証拠は不明瞭。舎人の目撃談もあやしい。時の太政大臣 藤原良房は、一方的に当時の政敵の1人善雄を疑っており、 じゃまな伴氏を追い出したかったのでは?といわれている。
 これと20年前の承和の変とあわせて、藤原北家は有力貴族2氏をワナにおとして 左遷するのに成功、権力を強めていく。

●天満宮の怨霊 →菅原道真
 何しろ天満宮。5歳で歌をよみ、 10歳で漢詩をあやつった神童・道真は、人生前半は本来の職・文章博士 (大学の学長のようなの)として活躍する。
 41で讃岐守をやった時には、問民苦使として問題調査にあたり、 飢饉で食料を提供するなど 善政を行う。京都育ちの道真は、実はおぼっちゃんである。しかし おぼっちゃんのくせに、積極的に最下層の農民に近づいた。 道真の当時の漢詩「寒首十草」は,なんと苦しい生活をする讃岐の農民 を読んだものなのだ。
 讃岐守の経験は、道真の生き方を変えた。民衆の、地方の 暮らしを時間をかけて知った彼は、不合理さを正したかったのだろう。 以降道真は、政治家となるのである。

 時の宇多天皇は、今まで成人男子1人あたりで課していた税を、土地ごとに課す という大改革を実施。金持ちも貧乏人も税金同じってのから、大いなる 進歩。これが道真の政策だというから、おそれいります。このついでに検税使(税金の とりたて係)を廃止。この時代の農民からみれば、もーほとんど神様であります。
 しかし、20年ごとにワナをしかけて有力貴族を左遷しつづけている 藤原氏の標的となり、901年、右大臣の時に 天皇排斥計画の罪で、 醍醐天皇から突然大宰府へ異動命令。左大臣のつげ口(ウソ)によるが、 醍醐天皇はおそらく真相は知っていたと思われる。
 罪人となった道真。左遷先の大宰府の住居がそうとう悪かったらしく、 脚気や胃潰瘍と病気が悪化し、 京の妻が亡くなると道真もほどなく病死してしまう。 こりゃま、うらんで当然。しかし記録には直接の恨みの言葉はないのである。
 道真の恨みたらたら説は、本人の漢詩や和歌ではなく、死んでから、 後の人が書いた年代記などに出てくるわけで...ほんとに怨霊になるほど 怨んでいたのだろうか。

 数年後、京都では、えらいさわぎ。首謀者その1藤原忠平は39歳の若さで死去、 忠平の子ども、内親王が20代10代で次々死去、 抗議にやってきた宇多上皇を御所に入れなかった蔵人頭(こいつも藤原氏)も 死去、関係者源光は底なし沼にはまるという死。
 しかしここまで道真の呪いという説は、公式にはださなかった。 庶民や貴族たちのうわさだけであった。しかし923年に、醍醐天皇により、 道真の怨霊説が公式見解になったのだ。

 923年、醍醐天皇は、道真を右大臣に戻す詔をだし、大宰府への左遷の辞令 を破り捨てた。罪は晴れたのだ。醍醐天皇は道真の怨霊を異様におそれていた。 道真の悲しみの言葉はあるが、恨みの言葉など、何一つないのに! 「時平の密告はうそだったのでは」醍醐天皇は後悔していたのでは ないだろうか。
 しかしその直後、陣定やってる最中の清涼殿に落雷!地学専攻として 言わせていただければ、平家のくぼんでるどまんなかに落雷などありえない。 ノボリでもたててたのか? 貴族数名死亡という前代未聞の災害。 でも右大臣に復権して、なぜ道真が怒るの?この雷をおとした怨霊は、 道真の復権をきらう藤原某とかになるんじゃないの? どーもよくわからん。ショックで 醍醐天皇が死去というのは、なんかわかる。

 しかし、あとで何やっても歴史はかえることはできない。民衆を助ける 政治改革を行った名政治家にして、当代随一の学者、 性格的に善人であった道真が、左遷・軟禁生活後、病死。 この事件が、庶民に与えたショックの大きさを、伝説の 広がりが物語る。何回聞いても悲しい事件である。

 この吉備真備以来といわれる「学者政治家」である道真の通った道、 似てる....幸鷹に。幸鷹は結局、藤原北家を追い出されるわけだし。 そもそも学者だし、地方官経験あるし、思いっきり現場主義だし、きたないこと きらいだし。
   あーあ()...トンデモナイ末路にならないことを祈る。



[Kaeru] ..