That's ドラゴンクエスト -1

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この不滅の名作の歴史をみてみよう



ドラゴンクエスト

 1985年発売のドラゴンクエストは、日本のビデオゲームとしての初のロール プレイングゲームだ。ウィザードリィ、ウルティマ、ダンジョンズアンドドラゴンズ、 これらはすべてアメリカ版でパソコンのゲームだった。日本産の、ロールプレイング ゲームの実質的な第1作である。

 花札メーカーであった任天堂が、当時最も先鋭的なCPUメーカーだった米テキサス インスツルメント社に発注した、安価超高速(当時では)画像CPUがあった。 テキサスインスツルツメントに何度も「不可能だ」といわせた企画だったという。これが ファミリーコンピュータ、ファミコンだ。プログラムをロードではなく、ROMに焼き込む ことで小型化を実現した。ファミコンのデビューは地味であったが、大手パソコン ゲームソフトメーカーのある開発者は「弁当箱ほどの機械で子供がゲームをしているの を見た。その画面の動きはパソコンゲームよりだんぜんに早く軽快だった。 これは、時代が変わるかもしれない、と思った。」と後に語っている。 おそらくスーパーマリオブラザースのことだと思う。

 1985年、ファミコンが浸透し始めたころ。世の文化は今と大きく違っていた。 ファンタジー小説まんがその他は、徐々に増えてはいたが、まだあまりない 時代だった。ドラゴンクエストはそこに、いきなりやってきた、プレイヤーが 自ら剣をもち世界を救う冒険の旅に出発する、子供のころ思い描いた夢を、 なんとまさか実現できるとは。子供がターゲットであったようだが、 20代のファンタジー好きの大人がまあそろって、はまりにはまったのだった。

 ドラゴンクエストは他のソフトとまったく違っていた。難しくない、というのが このゲームの最大の特徴だ。徹底的なモニタープレイを行っての開発が、この 次に軽快に進む楽しさあふれるゲームを作った。発売直前のレベル調整で、 ROM焼き直し、発売が1週間延期になったのは、そして伝説へ、じゃないが、 もう有名な話である。ドラゴンクエストの大ヒット以降、メインプログラマー のこだわりより、テストプレイによるモニターが重視されるようになったようだ (あたりまえだろがまったく)。

 ドラゴンクエストは当時400万部雑誌だった週刊少年ジャンプが大きく かかわっている。ジャンプ放送局のめんめんがクレジットで最後にでてくる ことからもわかるが、脚本家堀井雄二さんの友人一同が、少年ジャンプに いたのである。キャラデザインの鳥山明さんは有名だが、発売前から 大々的にカラーで誌上にて宣伝されていた。しかし、長年のジャンプ読者の 私は、まあ例によってジャンプが関係してるから宣伝するわけね、とあまり 気にしていなかったのだ。ただ発売後のあまりの評判にファミコン本体と いっしょに買ってみたら.....

 毎日風のように帰宅、妹といっしょにテレビの前に直行、「電源を 入れろー!」が合い言葉の日々であった。あったというか、今もそうである。



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