サイレンススズカ by ちか様


Photo Data:(C)Carrot Lunch

神馬と歩んだ日々 〜サイレンススズカ〜

BY ちか様
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サイレンススズカ(鹿毛 父:サンデーサイレンス 母:ワキア 母父:ミスワキ)
橋田厩舎 獲得賞金:4億5600万円 

  ☆1999年夏、宝塚記念のスタート直前の実況(YouTube)
   ---スズカ亡き後の宝塚記念。1998年のスズカが勝った宝塚記念は後方にあります。


「変な馬」。それが初対面のサイレンススズカに対する印象だった。
奇しくも私が生まれて初めて競馬場へ行った97年の天皇賞(秋)、 競馬新聞の見方なんて勿論知らず、栗毛をメインに馬券を買ったと思う。

やがてレースは開始され、視力の低い私にはゼッケンは愚か帽子の色さえ も全く判別できないのだ。困っていると周りで大きなどよめきが起きた。 何事かとターフビジョンに目を凝らすと、何やら1頭の馬が物凄い大逃げ を打っているではないか! 誰あれ〜!? と悩んでいる間に馬群は正面の 直線コースへと迫って来た。この時点でまだ自分の買った馬券が誰なのか 思い出せず、しかしあの大逃げの馬は絶対買ってないという自信だけは あった。ボウゼンとする。結局彼は最後のコーナーで力尽きたわけですが、 彼のその常識離れした逃げっぷりは本当に見事で・・・。

 その後冬競馬の季節になると無敗の快進撃が本格的にスタートしました。
向かう所敵無し、サイレンススズカ一人旅! というアナウンサーの声が 今でも鮮明に脳裏に蘇ります。宝塚記念も毎日王冠も、彼の最期のレース となってしまった天皇賞(秋)もウィンズで記念馬券を買いました。
今では本当に宝物の一つになってしまってます。彼の後継者を望む事は もう無理だけど、きっとこれからも今まで以上に彼は心の中で現役時代 のまま走り続けて欲しい。そしていつか自分が天に召される日が来たら、 スズカの大好きだったバナナを沢山持って逢いに行きたいな。

         Written by ちか 様


  ☆これがサイレンススズカだ!毎日王冠1998(YouTube)
   ---大逃げでもなく、普通に逃げている...が、スズカといったらG1よりこのレース! なぜか?これが、エルコンドルパサーの国内唯一の敗戦(といっても2着)だから。 この時サイレンススズカは重賞6連勝。これも道中1人旅、無敵だった。

  ☆宝塚記念1998(YouTube)
   ---今は考えられないような豪華メンバーの宝塚。本馬場入場のときにコールされる 馬たちをごらんください。ブライトがゲートで立ち上がったレースだ。 サイレンススズカを追い詰めるのは何とステイゴールド。最後は必死に逃げてますね。

  ☆小倉大章典1998(YouTube)
   ---木々がとりまく初夏の競馬場。美しい芝生で走っています。スズカはもちろん1人旅でコースレコードの勝利でした。


■付録:生サイレンススズカ--こんなスズカが大好きだ--

 あれから10年。年を追うごとにサイレンススズカ話が、神がかってきている...ように思う。 ライブでみていた限り、 あのコはセイウンスカイやオグリと同じ、強いけど、お笑い入ってマス系だ(と思う)。

 時は1997年。若き日のサイレンススズカは新馬戦を快勝...するが、皐月トライアル の弥生賞のスタートでゲートを勝手にくぐる。何とか出走するも大差の出遅れで皐月賞をのがす。
 続くダービートライアルは、ゲートもくぐらず無事連勝し、 ダービーにやってきたときは、「速い馬」好きの競馬評論家の期待を一身に集める、 期待の星に。ところがダービーは、見せ場もなく9着。評論家、大がっくり、あちこちの紙面で 夢敗れ...の弁を読まされることになった。

 仕切り直し、秋の初戦の神戸新聞杯にて、大逃げのスズカスタイルをめでたく確立。しかしこれは 後から言えることで、当時は、後方からすごい追いこみでスズカを差し切ったマチカネフクキタルの方が、だんぜん話題になっていた。菊花賞で3000m逃げるより、 天皇賞で2000m逃げた方がいいと思ったらしい陣営は、いきなり天皇賞へ! しかし3歳馬(旧4歳)の天皇賞制覇は過去1頭しかいない...。
 3歳スズカの秋天は、10馬身以上の大逃げをうつ展開、 そう、みんなよく知っている無敵の時代のサイレンススズカと同じだ。が、現実は そう甘くない。最後の直線でスタミナ切れし、古馬たちに追い付かれて馬群に沈み、 バブルガムフェロー(こいつがその3歳で天皇賞を制した馬なのだが)に 競り勝ったエアグルーヴの引き立て役の「その他大勢」に...。
 スズカの次走は中2週でマイルCS。ところが そこには、もう1頭スズカと同じ3歳の高速の逃げ馬、キョウエイマーチがいた。 最初にマーチに競り負け、ずっと2位を走ったスズカは、連戦疲れの上にアイデンティティ を失ったみたいで、じゅ、15着。 何をやってるんだ何を〜〜
 「もしや...!」と、淡い期待を抱き続けた「速い馬」ファンもここで 完全にあきらめたと思う。

 ああしかし、サイレンススズカの実力は、最後まで期待しつづけたファンまで すっかりあきらめた翌年4歳(旧5歳)春にどっかーんと大爆発、 発揮されてしまう。
 1998年春、サイレンススズカは、バレンタインS, 中山記念、小倉大章典、金鯱賞と、すべて逃げきり、ぶっちぎりの4連勝を飾った。 タイムがまた....逃げ馬のラップじゃない! さすがに競馬ファンは「サイレンススズカ」の名は覚えていたが、 え?これ、あのスズカと同じ馬?実は着ぐるみで中身 ちがうんじゃないの??いや、大逃げうってるやっぱりサイレンススズカだ!この足がありながら今まで何やってたのよー! (足はあっても体力と平常心がなかった)。
 4歳(旧5歳)春以降は、おなじみの平成の天馬モード。最初からギア全開のレース、 もっと見たかったけど、はいここまで、っていうのもスズカらしい気もするのだ。
           By lv1uni 



ちか様、および写真をご提供いただいたCarrot Lunch様に感謝いたします。