■付録:生サイレンススズカ--こんなスズカが大好きだ--
あれから10年。年を追うごとにサイレンススズカ話が、神がかってきている...ように思う。
ライブでみていた限り、
あのコはセイウンスカイやオグリと同じ、強いけど、お笑い入ってマス系だ(と思う)。
時は1997年。若き日のサイレンススズカは新馬戦を快勝...するが、皐月トライアル
の弥生賞のスタートでゲートを勝手にくぐる。何とか出走するも大差の出遅れで皐月賞をのがす。
続くダービートライアルは、ゲートもくぐらず無事連勝し、
ダービーにやってきたときは、「速い馬」好きの競馬評論家の期待を一身に集める、
期待の星に。ところがダービーは、見せ場もなく9着。評論家、大がっくり、あちこちの紙面で
夢敗れ...の弁を読まされることになった。
仕切り直し、秋の初戦の神戸新聞杯にて、大逃げのスズカスタイルをめでたく確立。しかしこれは
後から言えることで、当時は、後方からすごい追いこみでスズカを差し切ったマチカネフクキタルの方が、だんぜん話題になっていた。菊花賞で3000m逃げるより、
天皇賞で2000m逃げた方がいいと思ったらしい陣営は、いきなり天皇賞へ!
しかし3歳馬(旧4歳)の天皇賞制覇は過去1頭しかいない...。
3歳スズカの秋天は、10馬身以上の大逃げをうつ展開、
そう、みんなよく知っている無敵の時代のサイレンススズカと同じだ。が、現実は
そう甘くない。最後の直線でスタミナ切れし、古馬たちに追い付かれて馬群に沈み、
バブルガムフェロー(こいつがその3歳で天皇賞を制した馬なのだが)に
競り勝ったエアグルーヴの引き立て役の「その他大勢」に...。
スズカの次走は中2週でマイルCS。ところが
そこには、もう1頭スズカと同じ3歳の高速の逃げ馬、キョウエイマーチがいた。
最初にマーチに競り負け、ずっと2位を走ったスズカは、連戦疲れの上にアイデンティティ
を失ったみたいで、じゅ、15着。
何をやってるんだ何を〜〜
「もしや...!」と、淡い期待を抱き続けた「速い馬」ファンもここで
完全にあきらめたと思う。
ああしかし、サイレンススズカの実力は、最後まで期待しつづけたファンまで
すっかりあきらめた翌年4歳(旧5歳)春にどっかーんと大爆発、
発揮されてしまう。
1998年春、サイレンススズカは、バレンタインS,
中山記念、小倉大章典、金鯱賞と、すべて逃げきり、ぶっちぎりの4連勝を飾った。
タイムがまた....逃げ馬のラップじゃない!
さすがに競馬ファンは「サイレンススズカ」の名は覚えていたが、
え?これ、あのスズカと同じ馬?実は着ぐるみで中身
ちがうんじゃないの??いや、大逃げうってるやっぱりサイレンススズカだ!この足がありながら今まで何やってたのよー!
(足はあっても体力と平常心がなかった)。
4歳(旧5歳)春以降は、おなじみの平成の天馬モード。最初からギア全開のレース、
もっと見たかったけど、はいここまで、っていうのもスズカらしい気もするのだ。
By lv1uni
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