■シーキングザパール(鹿毛 父:シーキングザゴールド 母:ペイルプルーフ 母父シアトルスルー)
☆これがシーキングザパールだ!(YouTube)
---1998年、タイキシャトルとシーキングザパールの海外遠征ダイジェスト。
おそらくフジテレビ系のダイジェストと思われます。海外のトップクラスG1の日本調教馬の
連続制覇。圧勝。レコード勝ち。衝撃の夏だった。
しかし、この2頭がマイル馬のため、エルコンドルパサーやディープインパクトの
遠征に比べて、なんか扱いが軽い。特にパールは。2009年の今では、だれもパールを
覚えていないかもしれない。何しろYouTubeにあったパールのビデオは、
これ1本だけなのだから。
日本競馬界悲願の初の海外G1取得は、この気性の荒いじゃじゃ馬娘と武豊騎手だった。
シーキングザパールはメジロドーベル・キョウエイマーチと同じ世代。強さはこの2頭にひけを
とらないが....ファンはたぶん少ない。何しろ....
パールは、オーナーの娘さんがアメリカの競り市で、一目で気に入り、購入したという。
マルガイ(外国産馬)だったため桜花賞、オークスは出られなかっが、マルガイのダービー
兼オークスともいうべきG1・NHKマイルカップで勝利。この時、パールは最期の直線、
前をさえぎられ、ダッシュできない位置にいた。直線中央付近で、武豊騎手は
馬ごみを何とか抜け出したが、もうとても間に合わぬ位置。しかしそこから驚異の末足で
10頭近くを抜き去り、風のごとくゴールした。アナウンサーも解説者が「シーキング!」
と叫ばなければ気がつかなかったという。それほど不利な位置からの逆転だった。レース後、
武騎手は「ボクはただ乗っていただけ、馬が強かった」と語った。ものすごい馬が出てきた、と
多くの競馬ファンは思ったのだが....そうはうまくいかなかったのがパールらしいところ。
自分より弱い馬相手でも気分がのらないと平気で負ける。見捨てたころに勝つ()。
予想屋泣かせの馬だった。
昨年、アメリカの馬主に買われ、引退が発表されたが一転、アメリカのレースで
使われるという。じゃじゃ馬らしい波乱にとんだ人生を送った。
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