サクラローレル(栃栗毛 父:レインボークエスト
母:ローラローラ 母父:サンシリアン)
詳しい血統と成績→[1][2]
澄んだ瞳のすっごくかわいいお馬さん...それが王者・サクラローレル
☆これがサクラローレルだ!有馬記念1996(YouTube)
---この年、ローレルは重賞出走5回中4勝。
ダンスパートナーとヒシアマゾンたちも出ています。
女の子みたいな、つぶらで優しい瞳。おとなしく素直な性格。
美しい栃栗毛の馬体。脚部不安。このかわいらしい馬が、けして連をはずさぬ
長距離のターフの王者とは、とても思えない。
しかし、そんなカワイイ系の美馬サクラローレルには、
多くの競馬ファンの「敵」いう、信じられない役回りが
待っていた。
敵って、だれの?ナリタブライアン&マヤノトップガンの、である。
●ナリタブライアン・余裕のクラシック3冠
1994年、最後尾からの豪快な追い込みで3冠をとり、有馬記念まで5馬身差
で圧勝したナリタブライアンは、国民的な人気馬だった。
3冠馬が久しく出ていなかったし、追い込みで強い馬もいなかったせいか、、
本当に競馬ファンはみんなブーちゃんが好きだった。どんな人気馬でも
たいていアンチがいるのに、ブーちゃんはいなかったと思う。
☆これがツインターボだ!...じゃなくってナリタブライアンとヒシアマゾンだ!1994有馬記念(YouTube)
---ブライアンは3冠とりたての3歳馬。古馬を引き離して有馬も圧勝。唯一ブライアンを追っていけたのが3歳牝馬のヒシアマゾン。この時アマゾンは絶好調で、G1を含む重賞6連勝中だった。しかしその中にクラシックと天皇賞は入っていない。当時マル外は出られなかったのだ。女の子の競馬ファンは「せめて、ヒシアマゾンに年度代表馬をやれ!」と叫んだものじゃったが(ちと無茶か)。
☆京都大賞典1995(YouTube)
---2400m、ヒシアマゾン4歳時(旧5歳)のレース、圧勝。屈腱炎でブーちゃんお休みの間は、
彼女が最強馬と言われていました。アマゾンが直線で追い抜いていくレガシーワールドや
マーベラスクラウンはジャパンカップ優勝馬です。
●サクラローレル・散々なクラシック
さて、ナリタブライアンと同期のサクラローレルは、
3歳のクラシックのシーズンは脚部不安もありまったくだめ、
12戦で未勝利戦を2勝しただけ、年末まで1600万条件馬であった。
クラシック出走すらできなかったのだ。
3歳(旧4歳)の終わりごろから平山特別、冬至ステークス、
中山金杯と3連勝、やーっと頭角を表した...
..と思ったところでなんと、両前足(のなんとか骨)骨折で牧場に逆戻り!
まるまる1年間、休養になってしまった。1年!
うそぉ。オーナーや
牧場・厩舎関係者の頭のかかえぶりは想像に難くない。
4歳(旧5歳)である。骨折である。
まだそれほど実績がなかったローレルを、よくあきらめなかったと思う。
..これも3歳ですぐ引退の馬が多い最近では、考えられない。
ローレルはこのスタッフの努力に応えすぎるくらい応えるのである。
1996年3月、ローレルは中山記念2000mで復帰した。
ほぼ新人サクラローレルの次走が、モンダイの1996年天皇賞・春だった。
●ナリタブライアン・散々な休養あけ
同期にライバルなしのナリタブライアンは、ローレルと同じく4歳前半は屈腱炎で休んでおり、
ローレルより少し前、1995年秋の天皇賞で復帰した。
しかし休養あけのブーちゃんは不調だった。天皇賞12着、ジャパンカップ6着。
屈腱炎を克服できる馬は少ない...ナリブーもうだめなのかもしれない...
うん今までよく走ったよ、といったムードに。
●マヤノトップガン、散々なクラシック
ブーちゃんの休養中、3歳クラシックは例年より低レベルの戦いと言われていた。
菊花賞のマヤノトップガンまでは。
トップガンのクラシック前半は、ローレルのクラシック時代以上にさんざんだった。
ダート短距離ばかり走ってさっぱり勝てず、500万条件馬としてすごしていたのだ。
500万条件戦をローレルは6戦、トップガンは7戦もしている。
秋になってやっと中距離を走るようになり、マヤノトップガンは神戸&京都新聞杯の
連続2着から、初の重賞・菊花賞をとった。実は、この菊花賞がトップガンの唯一の条件
戦以外の勝ち鞍であった。...どんなに想像力があっても、こいつがその年の年度
代表馬になるなんて思わないよ!
天皇賞、ジャパンカップとも、ナニソレ?、
トップガンの次走は、中2か月あけての有馬記念であった。
その有馬記念で、1番人気のヒシアマゾン、そしてナリタブライアンら古馬をよせつけず、
マヤノトップガンは完勝した。
◇サクラローレルは、この時まだ牧場にいました。
●阪神大賞典と春の天皇賞1996
伝説のレースとなった3月の阪神大賞典、驚くべきことに立て直してきた
ナリタブライアンは、マヤノトップガンと長い距離を競り合い、復帰後初勝利を
あげた。内容が素晴らしく、2頭がこれだけ長い距離を競り合うレースは
これ以降はみたことがない。もうファン感涙。最後まで一歩もひかなかったトップガンは、
一気に、当時の競馬ファンの8割くらいを占めるブーちゃんファンのお気に入りに
昇格した。ずっと、この2頭の勝負を見たい!私もそう思っていた。
◇サクラローレルは、この時、翌日の中山記念のため、たぶん船橋。
☆阪神大賞典1996(YouTube)
---特に説明はいらない有名なレース。
☆有馬記念1977(YouTube)
---テンポイントvsトウショウボーイ。上記のに匹敵するのはこれくらいだなあ。
そして4月、天皇賞春、本番。競馬雑誌も新聞もファンの期待もブライアンvs
トップガン一色。しかし勝ったのは、2頭の横をすりぬけるように
差したサクラローレル。そんなばかな。あの馬、だれ?いやもう、大ブーイング。
この時、競馬ファンはサクラローレルという馬をまったく知らなかったはずだ。
前走の中山記念の前は長期休養。クラシック参戦履歴なし。主な勝ち鞍は、
1年以上前の中山金杯のみ。それが、その時のローレルのすべて。
ぽっと出の馬が、ブライアンvsトップガンの勝負をじゃましたよう
みえたのだ、みんな...。そりゃ、理屈ではわかってます。
でも自然にでてくる感情なので、しょうがないのである。
☆天皇賞・春1996(YouTube)
---モンダイの春天。悲鳴、そのあと、ざわざわざわ.....。
●強くなった、マヤノトップガン
その後ナリタブライアンは引退、そのファンを引きついだマヤノトップガンは
その年、ローレルと4回戦うが3敗1分け。一方
ローレルは、満票で年度代表馬に選ばれた。
突然、完成品が舞い降りた感じのローレルに対し、トップガンは500万条件レースを
勝てなかった時代をファンの目にさらしている。菊花賞のころは全然強そうな
感じがしなかった。有馬はどちらかというと田原騎手のスローペースの逃げが
うまかったなあと思った。でも翌年からは違った。古馬のトップクラスを相手に、
何というか、対等に渡り合っていた。強くなったなあ。
マヤノトップガンがサクラローレルに雪辱するのは、1年後の1997年春天、
ローレルとトップガン双方の国内引退レースだった。
マヤノトップガンはコースレコードを出しての引退で、こんなのあるのかと
思った。。
☆天皇賞・春1997(YouTube)
---因縁の春天。レコード勝ちで、マヤノトップガン、ラストラン。
●ローレルの瞳
サクラローレルほど、愛らしい顔、落ち着いた澄んだ瞳のチャンピオンホース
はいないと思う。もし、あの春天に出走していなければ、どんなにファンに
好かれただろう。
ローレルのゴール板前の写真、みたことがあるだろうか。他の馬
たちが血走った目をしている中、ローレルはいつも、つぶらな瞳を
優しく開き、まるでキャンターかのような顔をして写っている。
ねえローレル、キミのかわいらしい瞳を語った記事なんてあったかしら?
何を考えていたのだろう。
何を見つめていたのだろう。
上にあげた写真は、おなじみキャロットランチフォトサービスより
お借りした、ローレル引退式のもの。この顔をみていると、
どんなに賢く、そして強い馬だったか、何となくわかるでしょ?
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