2040年11月27日火曜、
USAプラネットの科学担当記者ハーヴェイ・ウッドワードは、いつものように「ブダペスト・グランドカフェ」で遅い昼食をとっていた。高い天井とヨーロッパの古い調度類に囲まれた奥行きのある空間は、まさに彼の好みだった。これほど落ち着けるカフェはニューヨーク中探してもない、と彼はいつも同僚に話していたほどである。午後2時を過ぎる頃には客足も少し減り、企画を練りながらの食事には絶好の時間帯だった。
広い店内にはいくつものシャンデリアが、きらびやかでありながらも温かみのある柔らかい光を店内に投げかけていた。
席につくと、時計モードになったエニグマを左腕からはずしテーブルの脇のほうに置いた。
先日は危うく置き忘れるところだったが、席を数m離れたところでエニグマの赤外線感知アラームが鳴った。まぁ、それが万一鳴らなかったにせよ、ウエイトレスがすぐに知らせてくれただろう。
彼女はたいてい、カウンター席の一番端の高めのストゥールに腰をかけて客席の方を向いていた。
長い黒髪を後ろにまとめ、赤いシャツに白いエプロンを着けた、やや小柄の女性だった。
東欧からの留学生だという彼女は名前をエヴリンといい、美術史を専攻し、ルームメイトが物理化学の学生だということでハーヴェイの記事もよく読んでくれていた。
今や、6割近いの読者がID付きの購読カードをフレキシブル表示板などに差し込んで「新聞」を読んでいたが、こうした伝統的な店に置かれている新聞は(購読料が割高にもかかわらず)昔ながらの紙媒体だった。エヴリンは古くなったUSAプラネットから興味ある記事を切り抜いていた。
ハーヴェイの記事もいくつかあった。彼女は宇宙、とりわけ火星関係の記事が好みのようだった。
なつかしいところでは、「マルス96」のプルトニウム事件を扱った記事。
1996年11月16日20時48分53秒(世界時)、カザフスタン共和国内にあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたロシアの火星探査機「マルス96」は、万全の準備にもかかわらず4段目ロケットを点火させることができなかった。
探査機はしばらく地球を周回したのち、翌日01時半頃、南米付近上空で大気圏に再突入した。
電源として積まれていたプルトニウム200グラムが陸地に落下した可能性があったため、周辺国はただちに警戒態勢をとった。
3日後にはアルゼンチン国境警備隊がボリビア国境近くの原野で、大きいもので5mにおよぶ3つのクレーターを発見するが、クレーターに接するようにしてタイヤの跡が見つかった以外は、探査機の破片すら発見できなかった。プルトニウムはいまも行方がわからないままである。
そして、2028年の「マルス28」でも同じような事件が起こったのである。
2020年代は、民間業者による核廃棄物処理が各国で禁止された時期であった。
そして、最近の記事では.... 2ヶ月前にあったアリゾナの爆発事件の記事。あれは彼にとっても印象に残る記事だった。
2018年5月7日、バイコヌール宇宙基地からプロトンロケットで打ち上げられたヨーロッパ宇宙機関の「エクソマーズ2018」は、2019年1月15日に火星に到着した。
火星における微化石の発見に成功(2019年12月)したものの、現在の火星に微生物が生存しているかどうかは不明なままだった。
21世紀初頭の探査機と地上からの観測から、火星大気中に微量のメタンが検出されていたが、火山活動が見られないことから、生物の存在が有望視されていた。この議論に決着をつけるには、火星の土壌サンプルを地球に回収し、精密な検査にかけるのが一番だったが、火星の生物(存在していれば)を地球環境に持ち込む危険性をはらんでいた。
この計画については一般の関心も高く、火星サンプル回収計画の遂行には、国民の理解が不可欠とされた。完全な隔離状態で検査ができるかどうか、専門家をまじえた公聴会がスチュアート・オニール上院宇宙探査委員会議長によって行われたのが2018年2月11日から12日にかけてであった。
NASA天体検疫センターのグロスマンらは、アリゾナの地下に作られたバイオセイフティレベル4を満たす「対バイオ兵器研究所」(Anti-Bio Weapons Laboratory)を火星サンプル検査に使用するため、安全な管理下での対応が十分可能であると強調した。
検査を担当する研究者と採取サンプルの間だけでなく、施設と外界との隔離が確保されたレベル4の研究・実験施設は全米に2カ所しかなかった。
人為的事故を想定した最悪の事態にも備えること、という条件付きで2020年7月、8月には火星探査機「MRSR」2機が相次いで打ち上げられた。
火星の南北高緯度地域から採取されたサンプルは2022年に回収され、直ちにアリゾナのユーマ砂漠の地下180mに作られた4階構造の「対バイオ兵器研究所」に収められた。建設に62億ドルが費やされたこの施設では通常、バイオテロに対処するためのさまざまなワクチン開発が行われていた。生物兵器に転用可能な技術であることから、施設全体が核兵器並みの厳重な管理化に置かれていた。
1980年に世界保健機構の天然痘撲滅宣言が出され、その後ワクチンの接種をやめた人類は天然痘ウイルスに対して無防備になっていた。もしテロリストが標的に天然痘ウイルスを撒けばどうなるかは容易に想像がついた。ワクチン接種の経験がなければ死亡率は40%と推測されている。
2017年9月にニューヨーク市中心部から発生した天然痘は2週間のうちに45人に伝染した。
アメリカではテロ対策の一環として、長らく予防接種が行われていなかった天然痘のワクチン接種を再開していたため、被害は最小限にくいとめられた。初期感染者に地下鉄第7ルートの利用者が多かったことから、地下鉄内で小型噴霧器が使われた疑いが持たれている。