四人の騎士たちは、教会門の前まで来ると馬を止めた。ひとりが闇に包まれた空を見上げた。
雪が再び舞い始めた。
決意を固めたように顔を見合わせた四人は、人気のないことを確認するように注意深く巨大な教会門をくぐっていった。
視界を遮っていた門を抜けると、目の前には1130年に完成した大聖堂が広がっていた。
1154年、イングランド国王としてヘンリ2世が即位した際、カンタベリー大司教の推薦する
トマス・べケットという人物が国王の側近となった。騎士道を修め、ボローニャ大学で法学を学んだ
というベケットは、王子の家庭教師役まで務めた。1162年にカンタベリー大司教が死去すると、
ヘンリ2世は聖職者であるべケットを新しい大司教に任命した。
それまでの豪勢な生活と縁を切ったベケットは、性格を一変させ、国王ではなく神への忠誠を選ぶこととなった。
ローマ教皇側に転じたベケット大司教は、ヘンリ2世との対立姿勢を強め、国王側の司教たちを
つぎつぎに罷免していった。
ヘンリ2世は、かつての友が強敵となったことを思い知った。
国王に忠誠を誓う四人の騎士たちが激怒する国王の心情を察し、ノルマンディーの城を出発したのは
1170年も終わりに近い頃だった。
彼らは、目立たぬようにして英仏海峡を船でわたり、カンタベリーに向かった。
騎士たちに気づいた大司教の従者たちは、押し入った素早さに抵抗するすべもなかった。聖壇の前に
ひざまづいて祈りをささげていた大司教の頭を、無慈悲な剣が襲った。
国王はこの事件を知り、自らの憎悪を激しく後悔した。
ローマ教皇はべケットを聖人に列し、国王も四人の騎士を処罰するとともに、カンタべリー大聖堂内に立派な墓を作らせた。
その墓はイングランド各地から多くの巡礼者をあつめたという。
ベケット司教の遺体が安置された日、沿道には人々の列ができ、
あたりは深い悲しみにつつまれた。いつしか雪はやみ空には星が現れ始めた。
すすり泣く声と馬の蹄の音だけが星々の間にすいこまれていった。
日もとっぷりと暮れ、細い月が雲間から見え隠れしていた。
突然、明るい閃光が地上の闇を照らし出した。
すると、ひとり、またひとりと月を指さし始め、ざわめきが広がっていった。
人類がまだ見たことのないようなその光景の記録が、グーテンベルグの発明を待たずに
地下保管庫に追いやられ、再びその存在が世界に知られるようになるまでには、
相当の年月が流れた。
レスター大学の専門家が、トリニティ・カレッジ図書館に保管された膨大な古文書に興味を
持つまでには、実に21世紀の到来を待たなければならなかった。
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