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◆ここは、剣と弓の物語・西洋の弓の章の補足部分です ■エーゲ海の重装歩兵 古代ヨーロッパを席巻した戦闘隊形が密集隊(ファランクス)と 呼ばれるものです。紀元前5世紀にはギリシャ中で使われていました。 ヨロイをきて長い槍と丸く大きい 盾をもったホブリタイという歩兵が、縦16名横16名くらい、すきまも ないくらいにみっちり並ぶものです。映画の「スパルタクス」に 出てくるあの重そうな人たちデス。 この密集隊形(ファランクス)は、ギリシャのどこか1都市が 始め、それがエーゲ海諸国一帯に広まったようです。 ペルシア戦争では、ペルシャのファランクスと、ギリシャ連合軍の ファランクスが激突しました。 しかし、あんなのがズンズンとやってきたら、平地ではギブアップ...!前からみたら、 穴がまったくないんですもん。 マケドニアのアレクサンドロス大王の軍も、他の国と同じファランクスでした。 でも他国よりも強かったのは、改良されていたためらしいです。 有名なアレクサンダーの斜線陣は、テーバイの名将エバミノンダス が最初にやったものだそうです。テーバイの斜線陣は、ファランクスの カタマリを左翼に重点的におき、あとは右にいくほど後方にずれるよう、 斜めに並べて、敵の右翼を集中してたたく、というものです。 アレクサンドロスは、さらに改良を加え、左翼にフリーの騎兵隊をおき、 何しろ重装歩兵は遅いので、機動力では騎兵の圧勝、 敵をマケドニアの都合のいい形に追い込む戦力として活躍したのです。 追い込んだ敵をやっつけたのは、マケドニア式ファランクスで、 6mの長い槍を使い、これまた射程で圧勝していました。 この戦法で、アレクサンドロスはあらかたの国に勝利したようです。 苦戦したのは、断崖と海の国、商魂と戦術に長けたフェニキア人の テュロスくらいでした。 しかしいくらなんでも、イッソスの戦い(BC.333)の記録、 アレクサンドロス軍4万5千vsペルシャ軍60万ってのは、 さばをよみすぎではないでしょうか()。 ええ、もちアレクサンドロスの勝ちなんですが。 ・しかし。コテコテにヨロイをきた人のカタマリでズンズンズン ....こんなの、つまんない....(;_;)。 ■ローマ帝国の重装歩兵 ローマ帝国のレギオンも、見たところ、12*10と1個を小さくして、 横のみでなく縦にも3列と、厚く並べたファランクス。 ちと違うのは、ギリシャ・マケドニアの丸い盾に対し、四角い盾 になっていたところくらい。 しかし、レギオンの機動力は、ファランクスとは大きく違っていました。 軍事国家スパルタのファランクスといえど、密集隊形と戦闘隊形の2種 くらいしか、陣形を変えることができませんでした。 ところが、レギオンは1大隊の、前後の位置交換ができ、さらに散開、集合まで 行えたそうです。歩兵そのものがたいそう優秀だったようです。 さらに、アレクサンドロスに見習い、レギオンの左右は騎兵が 固めていました。これは、かなり、強そうです。 ローマは優秀な戦法を研究しながら、領土を広げていきました。 さて、この一見無敵に思えた重装歩兵軍団を、まったく異なる戦術で 破ったのは、少人数の弓と騎馬の部隊----かのハンニバルによるカルタゴ の傭兵軍でした。世に名高いカンネーの戦いです。 カルタゴはそもそも海に生きるフェニキア人の国。ローマに海軍を つぶされてからも、海路の貿易のみで復活をはたします。その カルタゴが挑んだ、陸の戦い。それも傭兵主体の軍で、 数が圧倒的に多い正規軍であるローマを破ったのです。 もう驚異のできごとです。 方法は複雑らしいのですが、重装歩兵は前方と左横の敵としか 戦えないことを利用し、最終的には周囲を騎馬で包囲し、弓で内側を ねらって混乱させ、くずれた周囲で白兵戦....だったようです。 どうやって、騎兵の存在を承知しているはずのローマ軍の周囲を 取り囲むことができたのか...そんへんがハンニバルなのでしょうね。 その後、ハンニバルに匹敵する名将スキピオをたてたローマ軍は、 イベリア半島をへてカルタゴ本国に攻め上ります。女子どもも剣をもち 戦ったというカルタゴ最後の夜、スキピオ将軍は敵のために 涙を流したと伝えられています。ポエニ戦争の終結です。 ・これはあきまへん、調べれば調べるほど、カルタゴファンクラブになって しまいます。アタシも漁民の出ですからのう。 ■重装歩兵の消滅 このローマ帝国を最後に、ルネサンスまで きちんと陣形を組んでの戦争はなくなるようます。 中世の騎士の時代がきたからです。やっぱ中世騎士ですから、 馬とペア、騎馬戦なのです。 中世の騎士は、自分で主人を選び、戦争に従事しました。 次に陣形を組んでの戦争がはじまるのは、ルネサンス以降、 それも鉄砲隊(銃剣ですが)が主力となります。しかし、 大砲や鉄砲の前ではヨロイもじゃまなだけで、重装歩兵は、 ローマを最後に完全に歴史から姿を消したのでした。 |